ソウルフラワー震災基金報告41〜50

ソウルフラワー震災基金報告41〜50
※写真をクリックすると大きいサイズでご覧いただけます

報告.50(2018年7月10日)
  • 「『SAVE THE HIROSHIMA』土嚢袋」の支出
    650,000円

7/6の豪雨、報道よりもっと多くの被害があると感じています。1995年の阪神淡路大地震から立ち上げた『ソウルフラワー震災基金』、今回も、情報を収集して、私達なりの支援をしていきたいと思っています。
第一弾として、広島・呉を中心に頑張ってくれている『SAVE THE HIROSHIMA』に、土嚢袋約一万枚を送りました。

(伊丹英子)

https://sth20140824.jimdo.com

報告.49
  • 「福島の子どもを招きたい!明石プロジェクト『たこ焼きキャンプ』」の支出
    200,000円
(残高:10,248,353円/2018年7月10日現在)
 兵庫県の保養キャンプ「たこ焼きキャンプ」(団体名・福島の子どもを招きたい!明石プロジェクト)です。2011年以来、原発事故被災地の子どもたちを招いて毎年夏のキャンプをおこなっています。
今回、保養の意義や私たちのキャンプの様子を広く知ってもらうために新しく制作するリーフレットの作成費用を、ソウルフラワー震災基金より助成していただけることになりました。私たちの活動を支えていただき、本当にありがとうございます!

たこ焼きキャンプ事務局 一海真紀

報告.48(2017年8月20日)
  • 「熊本地震/仮設住宅・風除室作り」の支出
    風除室材料費/305,069円(上辻仮設団地・申し込み48軒)

熊本地震1周年の2017年4月14日に中川敬が益城町・馬水東道仮設団地で出前ライヴを行った際知り合った『コミサポひろしま』さんから、仮設住宅の風除室を作りたい、という申し出をいただき、『ソウルフラワー震災基金』を使うことになりました。以下、『コミサポひろしま』の小玉幸浩さんのメッセージです。

 広島土砂災害を機に立ち上がった『コミサポひろしま』という団体です。広島土砂災害の時のソウル・フラワー・ユニオン中川敬さんとのご縁で、熊本にもパワーを届けてもらいたく小規模仮設でライブを開催しました。その時に『ソウルフラワー震災基金』の話をお聞きし、今回ご支援頂くことになりました。仮設住宅での風除室の問題は東北などで問題になってるにもかかわらず…省かれてしまっています。風除室があることで、玄関を開けて雪、雨などの吹き込みを防ぐ、ちょっとした物置き、濡れた傘置き、下駄箱を置けたりと用途は広がります。この活動で、時には住民さんにも手伝っていただき、一緒に汗を流しもしました。
 今回のこの活動が出来たことに感謝しています。たくさんの住民さんの笑顔が見れたこと、ソウル・フラワー・ユニオンさんのおかげです。ありがとうございました。

報告.47(2017年2月4日)
  • 「車大作戦」の支出
    軽自動車購入費/998,000円

宮城県石巻市にて、震災が原因で家族を亡くした子どもたちのケアサポートや、震災のトラウマ等でPTSD等を発症して不登校となった子どもたちの復学支援等の活動を行っておられる『一般社団法人・こころスマイルプロジェクト』(http://www.kokoro-smile.org/)さんに、子どもたちの送迎や訪問活動で使用する軽自動車を寄贈しました。
以下、団体代表の志村知穂さんからのメッセージです。

 当団体は、震災で大切な家族を亡くした子どもたちや、PTSD等震災のトラウマで不登校となった子どもたちの心のケアや復学支援を行なっています。
 団体が保有していた車が、3ナンバーのディーゼル車で維持費が高い上に車体自体も古く、昨年夏頃より、維持費が安くて使いやすい軽自動車を提供して頂ける個人や団体を探しておりましたが、今回共通の知人が繋ぎ役となっていただき、軽自動車をご寄付していただきました。
 納車された日に早速子どもたちを送って行ったのですが、前の車はディーゼル車で音がうるさく、送迎中の不登校の子ども(声が小さい)の声が全く聞こえず、何度も聞き直すと「いいです、何でもありません…」となっていたのですが、静かな車なので、会話も弾みました。
 ご支援いただいた車輌は、子どもたちの送迎や、震災後外に出ることのできない子どもの訪問活動に使用させていただきます。
 ソウルフラワー震災基金代表の伊丹英子様はじめ、基金の皆様、募金をしてくださったファンの皆様、本当にありがとうございました。心より御礼申し上げます。大切に末長く使わせていただきます。

報告.46
阪神淡路大震災、中越沖地震、東日本大震災と、私たちの想像を遥かに超えた震災に続いて、今回、まさかの九州でのM7を越える大地震が起きました。
大都市災害型の阪神淡路、津波や原発事故を伴った東日本、中央構造線上を短時間の間に震度6以上が頻発する、先が見えない今回の九州と、支援の仕方もそれぞれに考えていかなくてはならないと思います。
1995年に『ソウルフラワー震災基金』を開始した当初の気持ちを忘れずに、現地で活動するボランティアたちと密に連携しながら、行政の手が行き届きにくい所に支援を続けて行きたいと思っています。
もちろん、東北の震災も終わっている訳ではありません。東北への支援も今まで通り継続していきたいと思っていますので、よろしくお願いいたします。

(伊丹英子)

(プール金:10,497,955円/2016年4月20日現在)

報告.45(2015年10月13日)
  • 「めんそーれ!ちびっ子保養旅」の支出
    費用/595,812円
    (航空運賃、レンタカー代、アカバナーハウス宿泊費代、交流会BBQ代、清掃代)

 ずっとやりたかった、放射線量が高い地域にお住まいのちびっ子を持つお母さんと子供達の、沖縄での保養。今回、偶然が重なりとてもいい形で実現できました。いろんな方面から、大きな保養先では団体行動でスケジュールが限られていたり、それぞれのお母さん方の思っている形でなかったりという話しを聞いていたので、単に沖縄に来てもらい自由に砂遊びやどろんこ遊びをしてもらうのが目的でした。4泊5日で、交流会的に開いたBBQ以外は自由に過ごしてもらいました。大人5名5歳以下のちびっ子が7名の旅。ちびっ子達もなついてくれて、、笑顔溢れる5日間になりました。ソウルフラワー震災基金に協力頂いた皆様、ありがとうございました。協力して頂いた北中のゲストハウス「アカバナーハウス」に感謝します。
 以下、福島市の熊谷さんからのメールです。

(伊丹英子)

 私は福島県福島市に住んでおります熊谷と申します。5歳の女の子と2歳の男の子の母親です。震災当時は上の子が生後5ヶ月でした。原発事故による放射能の不安から福島で仕事を続ける夫と離れ、娘と二人山形県へ自主避難し二年半過ごしました。生活の為に娘を保育園に預け仕事を見つけ働きながらの避難生活でした。第二子が生まれ夫とも相談し、福島へ子供と戻るという決断をし一昨年末に戻りました。自宅の敷地内は除染されましたが、まだ放射線量は安心できるレベルでは到底ありません。子供たちが通園通学に使う家の周辺の道路は、除染の計画さえ立っておらず、線量が高い箇所も多いので子供と散歩するのも気が気じゃありません。この福島で生活していくと決めたからには、子供を可能な限り保養という形で放射能から遠ざける期間を作ることや、食べ物に気をつけて子育てしていこうと思います。
 この度、皆様のおかげで4泊5日の保養を沖縄でさせていただくことができました。芝生に寝転んだり、裸足で走ったり、美しい自然の中で生き生きと遊んでいる子供たちを見ることができて私たちもとても幸せでした。
 震災から年月が経ち、復興のニュースが前面に取り上げられ、原発事故、その被災者のことは忘れ去られようとしている現状の中、心を強く持って子育てしていかなければと改めて思いました。私たちのことを忘れず、物心両面で支援して下さる皆様の存在は本当に心強いです。感謝以外のなにものでもありません。この度は本当にありがとうございました。ご恩は決して忘れません。

報告.44(2015年7月19日)
  • 「蚕大作戦」支出
    軽貨物購入費/600,000円

 福島第一原子力発電所から20km圏内にある福島県南相馬市小高区(と原町区の一部)は、東日本大震災及び福島第一原子力発電所事故の影響により、現在も避難指示が続いています。2012年4月16日から自宅の片づけなどのために自由に立ち入りする事はできるようになったものの(それ以前は許可制であり、年間で3、4回の立ち入りしかできなかった)、宿泊はまだできません。市は、避難指示の解除目標を2016年4月に設定していますが、解除後の生活には多くの不安が残ります。
 電気、水道、ガスなどのライフラインの復旧は進んでも、食料品、飲料水、日用品などを販売する店舗は、2015年7月の段階ではまだ再開しておらず、医療機関も外来しか再開していないため不安は残り、また、避難指示により元々仕事をしていた職場が閉鎖や移転をしてしまい、戻ってきても仕事がないなど、震災前の生活を取り戻すには多くの困難が待ち受けていることから帰還を躊躇してしまう住民もいます。
 そんな中、インフラの復旧のみならず、避難した住民の交流の場をつくったり、小高区に立ち入りをしている人たちのために食事の場を提供したり、また、戻ってくる人たちのための起業支援を行っている人たちもいます。NPO法人 浮船の里(http://ukifunenosato.org/)もその一つで、帰還住民の交流の場の提供や、小高区でかつて盛んだった養蚕と機織りを復活させ、それを帰還住民の仕事とするための活動などをしています。今年は絹糸の収穫量を増やすために飼育する蚕を数倍に増やしたことで、蚕の餌となる桑の葉が大量に必要になりました。今までは自家用車で桑の葉を運搬していましたが、効率が悪く困っていたところ、軽貨物車の購入資金をソウルフラワー震災基金から提供していただきました。
 以下は、NPO法人浮船の里 事務局の和田さんからの報告です。

(南相馬市在住:柚原良洋)

 浮船の里 事務局の和田と申します。この度は当団体に多額のご寄附をいただきまして、本当にありがとうございます。私たちは、南相馬市小高区という原発事故避難区域で、かつて盛んだった養蚕と機織りを掘り起し、付加価値のあるシルク製品をつくり、それを帰還住民の生業と手仕事にしようとチャレンジしております。そのために養蚕では蚕のエサとなる桑の葉を毎日大量に収穫して与えなければならないのですが、これまでは作業用の車がなく、積載量の少ない自家用車でなんとかやっておりました。今回のご寄附により、念願の軽バンを購入することができまして、作業効率が格段に向上しました。本当にありがとうございました。

■浮船の里:http://ukifunenosato.org/

報告.43(2015年6月8日)
  • 「尾道ひなの会・保養プロジェクト」の支出
    保養の旅費/600000円

 尾道のレコード店「れいこう堂」の店主・信恵勝彦さんが継続して行っている保養プロジェクト「ひなの会」に、保養家族の旅費を援助させていただきました。信恵さんの、その多岐にわたる活動は、最近公開されたばかりのドキュメンタリー映画『スーパー・ローカル・ヒーロー』(http://superlocalhero.com)で知ることができます。機会があれば、是非映画の方も御覧ください。

以下、広島県尾道市のひなの会の代表、CD店店主、信恵勝彦さんからのメッセージです。

 2011年3月11日の東日本大震災、原発事故後に尾道に避難移住してきた母子の方や地元のお母さんたちと立ち上げた会です。震災当初は尾道に避難移住されて来た母子家族、家族の方の尾道での生活を応援することを目的にしていました。実際に罹災証明がある方は公的機関の援助で住居などがある程度は保証されてる中で、いわゆる放射能汚染からの自主避難の方は、すべて自分たちで知らない土地で生活の基盤を作り生きないといけない状況でした。それは福島に留まらず、岩手、山形、千葉、栃木、茨城、関東方面から避難移住です。0歳から小学生までの子どもさんを抱えた母子だけの家族が多く、精神的な支えが必要だったと思います。ひなの会として、格安住居の紹介、仕事の紹介、生活用品の(家電など)の中古無償提供、幼稚園や小学校への編入のお手伝い、毎週のように集まりを開き、地元との人や移住者同士の交流や生活上の問題、育児の問題、原発の問題などを共有して知らない土地で少しでも普通に生活をしてもらえるようにしてきて、現在も行っています。

 2011年の12月には大きい民家を借りて4家族が住めるシェアーハウスを開きました。放射能汚染からの健康被害を軽減する意味が大きい短期中期保養(春休み、GW、夏休み、冬休みをメインに)、移住の住居探しの拠点、交流会の場として、通年、格安で運営しています。2014年には更に7家族が住める新しいシェアーハウスも開き、2011年以降から現在、そしてこの2015年の夏休みも東日本からの保養の家族を交通費、住居費、光熱費の補助を打ち出し、行います。震災から4年経ちましたが、放射能汚染問題は後、20年、30年と何年続くか私にもわかりません。保養にきた子どもは野外で自由に遊び、自然と戯れ、親は日頃のストレスから解放され、心身ともに幸せになれると信じています。家族の分断、地域で意識の違いからの疎外感、なども多くあると聞いています。保養の家族の笑顔を貰い、力も貰っています。時間、年数の経過とともに風化?して来ている感はありますが、皆さんからのカンパ寄付を中心に音楽イベント開催やバザーの収益などで、この活動を出来る限り続けて行きたいと考えています。

 震災以降数年来の企画も最近実現しました。2011年から野菜や柑橘を福島の幼稚園・保育園に定期的に差し入れしてきました、無償提供にも限界がありました。この5月から尾道に保養に来られたお母さんたちが福島でマルシェを開催してくれています。尾道の無農薬野菜やお米などを仕入れしてもらい、販売してもらえるようになりました。地元の農家さんも潤い、福島の人にも美味しい農産物を食してもらえることが継続して出来そうです。運賃だけはカンパや寄付で補助しないと出来ません。この活動も今後発展させていきたいです。  今回はありがとうございました。感謝しています。 放射能汚染や公害のない、戦争もしない、ヘイトもない、差別もしない、本当の普通の幸せな生活がきっと世界中に訪れると信じています。

■ひなの会:http://ameblo.jp/hinanokai-onomichi/

■尾道 れいこう堂のブログ:http://ameblo.jp/reikodo/

報告.42(2014年9月21日)
  • 「海水浴場海開き大作戦」の支出
    PAアンプ、卓上マイク、スピーカー、CDプレイヤー、スピーカースタンド代金/172,800円

2012年に行った神楽大作戦(報告.30)などで繋がりのある、宮城県石巻市北上町十三浜地区の「白浜海水浴場」に、2014年8月9日に開催された海開きの必要機材のサポートを行いました。開催場所の「白浜海水浴場」は、震災被害により震災前のように再開はされていませんが、地域住民の有志が「白浜海水浴場再開実行協議会」を立ち上げ、「2日間だけの海開き」を開催する運びとなりました。そこで、「海水浴場に音楽を流す」「監視員の緊急時避難誘導及び遊泳客への注意喚起」のために音響機材が必要とのことで、震災基金へ協力の要請が届いたことから、今回のサポート実施となりました。

以下、白浜海水浴場再開実行協議会の佐藤様より頂いたレポートを掲載します。

 今年も昨年に引き続き「2日間だけの海開き」を開催しました。その際の音響設備をご支援頂きまして、今年は大変に賑やかに海水浴場内の雰囲気を盛り上げることが出来ました。あいにくの台風で天候が悪く、今年は残念ながら一日しかオープンが出来ませんでした。初日は、最高気温が22度しかなく曇り空の中でしたが、それでも250名程度の海水浴客が訪れました。昨年は2日間で880名の動員でしたので、今年はその悪天候の影響で来場者数は激減しましたが、それゆえに音楽が会場に賑やかに鳴り響いてくれたことは、我々にとっては大変ありがたい事でした。音楽がなかったら、どんなに寂しい海水浴場だったか・・・と、協議会一同、心よりお礼を申し上げます。今後も、このご支援を頂きました音響機材は、地域住民で極力共有し、地域イベントで積極的に活躍するように、地域へ活かして行こうと思っております。北上総合支所の方でも、是非とも利用させて欲しいとの事でした。来年度も開催予定でおります。引き続き、今回のご支援が無駄になることの無いよう、中身も充実させたイベントを催して行けるように、地域住民が一丸となって参る所存です。最後になりましたが、この度は本当にありがとうございました。

(白浜海水浴場再開実行協議会 佐藤尚美)

今回のサポートにあたり、ご協力頂いた皆様にお礼申し上げます。ありがとうございました。

(ソウルフラワー震災基金 呼び掛け人 上野祥法)

報告.41(2014年8月22日)
  • 「福島子どもプロジェクト」への支出報告
    福島県南相馬市の中学生12名分の渡航費・国内移動費・現地プログラム費
    /2,860,000円

「報告.39」にてお知らせ致しました「福島子どもプロジェクト2014春・アジア交流の旅」へのサポートを行いました。本プロジェクトの詳細レポートは、実施団体「一般社団法人ピースボート災害ボランティアセンター」のホームページからご覧頂くことができます。

【写真特集】 http://pbv.or.jp/blog/?p=10344
【ブログ:旅の日々】 http://pbv.or.jp/blog_fukushima/
【終了報告レポート】(※クリックするとPDFが開きます。)

震災基金へも同様のレポートのほか、参加した子どもたちの感想文が同封されていました。そこには、初めての海外体験での驚きや、外国の子どもたちとの交流の様子、旅の中で学んだことなどが記されており、子どもたちが充実した時間を過ごしていたことが窺い知れました。ソウルフラワー震災基金としては、子どもたちが伸び伸びと過ごせる時間を持つことができれば幸いと考えていましたので、上記、旅の様子やレポート、子どもたちからの感想は嬉しい報告となりました。

(ソウルフラワー震災基金 呼び掛け人 上野祥法)