虐殺のあった教会の大きな木の下で(21日・リキサ 撮影 広田保彦)
ソウル・フラワー・モノノケ・サミット in 東ティモール
文/広田奈津子(非営利団体環音(わをん)代表) http://www8.ocn.ne.jp/~waon/

「モノノケらしい場」。ソウル・フラワー・モノノケ・サミットの東ティモール独立祝賀に際して、メンバーの口からこんな言葉が聞けた。現地の演奏ですっかり人気者になってしまったソウルフラワーは、街の暗闇を車で走っていても声をかけられ、道を歩けばサインを求められた。「ありがとう!」と叫んで三線を弾く真似をする子どもたち。ソウルフラワーは笑って応える。その横顔を見ながら、今回の独立がもたらした出会いすべてに感謝した。


東ティモールは2002年5月20日、21世紀初の独立国となった。

バリ島から1時間半、日本の真南に位置するこの国は、16世紀からポルトガルの支配を受け、第二次世界大戦中は日本が占領。戦後、再び支配したポルトガル政権が70年代に植民地放棄をすると、文化・言語も宗教も違うインドネシアが併合を求め、武力侵攻を開始し、3年後には住民の3分の1近くが犠牲になったといわれる。

東ティモールに侵攻したインドネシアのスハルト政権には、石油の利権などを狙う世界の大国の思惑がそれぞれ絡んだ。日本からインドネシアへ送られた巨額のODA(国民一人あたり3万円相当といわれる)はスハルトの私腹を肥やしただけでなく、10億ドルにおよぶアメリカからの武器買収にも役立った。大国による侵攻の手助けは、インドネシアの軍事侵略を非難する国連決議をも無視して続けられ、インドネシアの24年に及ぶ不法占領を可能にした。一方東ティモールは平和的解決を求め、96年には独立運動の指導者と司教にノーベル平和賞が授与された。

石油などをめぐってさらに複雑化する国際状況のなか、東ティモールは新たな一歩を踏み出した。インドネシア併合派によって破壊された街、森、海とともに、「ゼロからの出発」となった。

独立前日の5月19日、バリ島から東ティモールへ向かう。飛行機が島に近づくにつれ、体が重く沈む。独立を願った血と涙が染み込み、未だ乾かない東ティモールの土。その上で独立を祝う――。飛行機が着陸した。立ち上がった中川さんが頷いてくれた瞬間、何かふっと軽くなった。ソウルフラワーがいる。

独立祝賀コンサートのステージ(20日・タシトル)
奥野(20日・タシトル) 河村(20日・タシトル)
大熊(20日・タシトル) 中川(20日・タシトル)
中西(20日・タシトル) こぐれ(20日・タシトル)

町を歩くと、焼かれた民家が生々しく目に入ってきた。その焦げ痕と対照的に、子どもたちの笑顔が眩しい。人々は、もう心配事は何もないかのように明るく見えた。しかし、今回の独立祝賀コンサートには、支配された側の東ティモールと支配側との問題、特に文化面でポルトガルとの問題が縮図となって顕著に表れた。

東ティモールではかつての宗主国であるポルトガルへの反感が強いと、現地スタッフから聞いていた。無責任に植民地放棄した後、独立が決まってからは再び文化的干渉を始めたと危惧されている。公用語が土着の言葉でなくポルトガル語になったこともさることながら、ポルトガル人に見られる、土着文化を尊重しないような態度が問題になっているのだと現地で実感した。

独立祝賀コンサートのステージ(20日・タシトル)
中川(21日・リキサ) こぐれ(20日・タシトル・撮影 広田保彦) 民族衣装で歌う子どもたち(21日・リキサ)
独立祝賀コンサートのステージ(20日・タシトル)

コンサートを取り仕切っていたのはポルトガル・ブラジルを中心にしたポルトガル語圏の共栄組織だったが、進行は驚くほど酷いものだった。人材も技術もあるはず。明らかに手抜きである。前日になっても連絡は入らず、待ち合わせや約束は当然のように何度も破られ、数時間遅れで始まったコンサートはポルトガル語の音楽をひたすら優先したものだった。ソウルフラワーには「あと3時間待て」「演奏時間は5分で」などと言う。もうコンサートが終わってしまう。

焦りながらも彼らとケンカを続けていると、ポルトガル文化誇示にうんざりしていた観客が一気に盛り上がった。

ステージを見ると、中川さんがファッションショーのお姉さま方の列に続き色っぽくポーズをとっている。大ウケの観客。止める主催側を振り切ってゲリラ的に一曲目の「がんばろう」が始まった。見違えたように観客が湧く。一方主催側は司会者に一曲で演奏を終わらせるよう合図を送っている。しかし東ティモール人の司会者はこれを拒否。 後に聞くと、東ティモールでこのような強い拒否を見るのは珍しいという。

びっくりしている主催側を尻目に、「安里屋ユンタ」、「インターナショナル」と曲が続く。 観客がどっと踊り出て、翻った幕には"Against Neo-Liberalism" の文字。しかしそれ以上は許されず、盛り上がったままの観客を残し、4曲目「さよなら港」で終わるしかなかった。

約束の演奏時間ももらえず、MCも入れられない悔しさが残る。ソウルフラワーの演奏強制終了とともに続々と帰り始めた観客たちは、ポルトガルへの意思表示、ボイコットをしているように私には見えた。

コンサートの模様は地元のテレビでも繰り返し流れているらしく、ソウルフラワーの人気は上々である。「東ティモールでアルバム先行発売しよか(笑)」と中川さん。(p.2 へつづく)


撮影: 小幡文人(アーネスト)※ALTに注記ないもの全て /広田保彦

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