4人編成で、エレキギターをかき鳴らしながらシンプルなロックンロールやパンクロックをシャウトする中川敬を今こそ見てみたいと、4、5年前から思ってました。
つまり、初期ニューエスト・モデルのスタイル。
中川君と一緒にアコースティック形態のツアーを回るようになって10年になるけれど、最近の彼のアコギ弾き語りを聴いていると、何週も回って、経験と技術を得た上で、複雑をシンプルに伝えるワイルドな表現に向かいつつあると感じてました。そういった流れを受けての今回のベスト盤発売は、中川君とソウル・フラワー・ユニ
オンにとって、とても意味のあるタイミングのような気がしてます。
久し振りにじっくり聴いたニューエストモデルは、懐かしいのに新鮮、とにかく圧倒的で、ワクワクしました。ホンマにカッコええ!影響受けそう。51歳になって「青春の翳り」にぐっときました。
今回、ニューエストモデルを再体験した上で、これから新章に突入するであろうソウル・フラワー・ユニオンと中川敬の今後が増々楽しみになりました。
リクオ
中川 敬は直属の先輩だ。NEWEST MODEL~ソウル・フラワー・ユニオンは日本のロックシーンに必要不可欠な存在だということは断言しておきたい。
阪神大震災の時の彼らの経験と実績はその後の災害支援の在り方に巨大な影響をもたらしていることも断言しておきたい。
そんなNEWEST MODELとシアターブルックはお互いに今年結成30周年を迎える。
オレたちがロックミュージシャンとして生きてきたこの30年は何だったんだろうか?
明らかに岐路に立っているこの国でオレたちロックミュージシャンができることって何だろうか?
結論はまだ出ていない。
オレたちはまだ全然満足していないんだ。
佐藤タイジ(シアターブルック)
シーンの中で異彩を放ち、ずっと気になる存在だった彼らとの初コンタクトは妙に緊張したことを思い出します。
それはロッテンハッツとの対バン・イベントだったんですが、クールで圧倒的なライブとは裏腹に、とてもいい人達で。
祝!30周年、今も他に類を見ない最強過ぎるロック・バンドであります。
木暮晋也(ヒックスヴィル)
二十年以上前、私たちはニューエスト・モデルに衝撃を受けた。
あまりに早くからトラッドやソウルを取り入れた、限りなく洋楽的なパンキッシュなロックの虜になった。
ましてや私たちのような関西のバンドマンには、とりわけ強く訴えたのではないだろうか。
その後の日本のパンク・バンドやロックンロール・バンドが、なぜこうならないのか悲しくなったりもした。
今このベストを聴いて「そりゃこうなれないわな」と、その非凡さを実感する。
田中和将(GRAPEVINE)
アマチュア時代に東京の中野に住んでる頃、たまたま受信できてたテレビ神奈川のミュートマJAPANという番組で、<ソウル・サバイバーの逆襲>のミュージック・ビデオがよく流れていました。
メロディも印象的ですが、ベースもとても耳について、当時まだベーシストだった僕は、中野のマンションでミュートマ観ながらベースを一緒に弾いたりしてました(笑)。
懐かしいな。
30周年おめでとうございます。
吉井和哉
中川君とは1966年早生まれの同級生である!
初めてニューエスト・モデルを観たのが28年前の学園祭だったと思う。
洋楽バンドの先輩ってのが最初の印象。
とにかくかっこよくて度肝を抜かれたのを覚えている!
88年、ジュンスカもちょうどデビューして同じ音楽シーンには居たんだけど、
なかなか接点が無くてソウル・フラワー・ユニオンになってからかな?
社交的な奥野君が確か信濃町のレコーディング・スタジオの食堂で話しかけて来てくれてちょい知り合いになった(笑)。
そこからまた時は過ぎ、10年前の40歳の時1966年生まれのイベント『ROOTS 66』で初めて中川君と会話した(笑)。
だけど10年前の中川君はまだ目付きと雰囲気が人を寄せ付けない感じがあって、
僕の中であまりお近付きになりたくない人ナンバーワンだった!
ところが今年お互い50歳になって迎えた10年ぶりのイベント『ROOTS 66』、
仙台の打ち上げで意気投合、ってか、彼の話は無茶無茶面白い!
一緒に酒を飲みタバコを燻らせ、もっと早くこんな感じで、、いや、今だから良いのだ。人生って不思議なものです!
今年は一緒に弾き語りを演ることも決まったのでお楽しみに!
そんな感じで届いたこのベストアルバム。
本当に素晴らしい!パンク・バンドにとどまらず幅広く挑戦するサウンド感!
ここからソウル・フラワー・ユニオン&ソロの作品に繋がり紡いで行ったんだね。
そしてこれだけバラエティなのにブレて無いんだよな!
こないだ『ROOTS 66』大阪城の楽屋裏で中川君の息子に「お菓子あげる」って言ったら、
「俺、自分の持ってるからいらない」って言われた!
おい、息子もブレてねーじゃねーかよ。
思わず心が温かくなった!
てなわけで、またね、敬ちゃん(笑)
宮田和弥(JUN SKY WALKER(S) )
ニューエスト・モデルを初めて知ったのは大学生の時だ。
その音、歌詞が当時の他のバンドに比べ異質に感じたのを覚えている。
今回このレコードを聴かせていただいた。
様々な音楽の影響が見えた。
大学生のウエノ青年にはまだまだわからなかったんだな。
きっとニューエスト・モデルのみなさんは音に敏感で、
感じたその音を自分の血にするのが上手い方々なんだろう。
すごいな。
カッコいいな。
ウエノコウジ(the HIATUS)
いやー、ものすごく素晴らしかった。
ニューエスト・モデルやソウル・フラワーとは、
ほぼライブでしか接してなかったんで、
楽しかったり、その場の勢いで終わってたから、
こうゆうカタチ(スピーカーとかヘッドフォン)で
ガンガンひとりでじっくり聴けたのは新鮮で大事だったです。
「うおお、好きだあ、この感じ」っつう連発だったよ。
ちょうど今、自分、新譜の作業中で、
ほんといいタイミングでいいもの聴けて良かったです。ありがとー。
TOMOVSKY
ニューエスト・モデルは自己批判と逡巡に溢れた鋭い内省の歌が多くて、
高校生のオレの胸にもめちゃくちゃ刺さった。
'70年代のUKの少年たちにthe Jamがいたように、
日本の'90年代の少年たちにはニューエストがいた。
四十を過ぎても、ときどきニューエストを聴いては、
迷いうなだれひとり道端に座り込むことの正当性を思い出したりしている。
曽我部恵一
ニューエスト・モデルは他をぶっちぎっていた。
ドアーズやモータウンやスライやネヴィルやポーグスやホワイト・アルバムや
チューリップや諺や四字熟語やいいちこがガッツリ効いていて、
しかも中毒性のある優れたメロディーを持つパンク・バンドなど他に無かったし、今
も無い。
そんなヤツらの最新リマスター2枚組ベストが最高でないはずがない。
<底なしの底>が入っていないこと以外は。
これを聴いていると、ソウル・フラワー・ユニオンへの移行は、
THE JAMがもう解散するしかなかったことと、
THE CLASHが『サンディニスタ』を作るしかなかったことに似ている、と改めて感じる。
発売を、なんだか誇らしく思う。
藤井一彦(THE GROOVERS)
結成30周年おめでとうございます!
久しぶりに初期の音源を聞かせて頂きました。
「ブレて無い頑固さ」、これに尽きますね!
音源を聞いていたら、出会った頃の場面の景色が頭の中を駆け巡りますね。
エッグプラント、どん底ハウス、ロフト、豊島公会堂、京都会館、
新宿居酒屋乱闘事件、八王子法政大学祭、ロックンロールオリンピックの宿、、、
こんな事をメッセージしているのは俺ぐらいでしょう(笑)。だって本当の事だもん!!
音楽の話は苦手な俺と、ニューエスト・モデルの物語はいつまでも続くのでありましたとさ。
<ソウル・サバイバーの逆襲>でウルんと来た初老より。
アツシ(ニューロティカ)
NEWESTとはほぼ同世代で活動の場もそんなに変わらなかったのだが交流が無かった。バンド名は知ってるけどって感じで。そんな頃UKエジソン店内でソウル・サバイバーの逆襲が流れていた。これは誰?ってお店の人に訊いたらNEWEST MODELだよと教えられた。驚いた。同世代にこんなすげえのいるんだと思った。ソウル・サバイバーってアルバム買っちゃった。
こたつ内紛争とソウル・サバイバーの逆襲を繰り返し聴く日々がしばらく続いた。
自分の中では洋楽枠だった。
今回ベストを聴かせて貰ったけど、今聴いても新鮮な驚きが満載。色んな所がちょっと変で面白い。昨日爆弾ジョニーのりょーめーとNEWESTの話してて、同じこと言ってた。
あれ以来こんな感じのバンドは出てきてないと思う。強いて言えばソウル・フラワー・ユニオンくらいかな。
上田健司
30年近く前の暑い夏の午後、
焼酎とカセットテープを持って
友人が遊びに来た。
「このバンド、面白いぜ。」
そう言って友人は、僕の部屋のラジカセに
テープを入れ、再生ボタンを押した。
ライブハウスで録られたであろう劣悪な
音質ながら、ゴキゲンなバンドサウンドが
飛び出した。
僕は思わずラジカセに手をのばし、ボリューム
をあげた。
インデックスカードには、ヘタクソな字で
「ニューエスト・モデル」と書いてあった。
真島昌利(ザ・クロマニヨンズ/ましまろ)
当時、彼らが同世代と聞いてバンドやめようかなと思ったくらいの衝撃だったな(笑)
パンク×ソウル×ファンク×日本語そして反体制…。
大好物テンコ盛り定食、そこに関西特有のイケイケ感をトッピングしてんだから無敵だわ!
世界に誇る日本のロックってこういうことだからな。
しゃべれもしない英語で歌って、ワールドワイド気取った糞バンドどもに強制的に聴かせる法律作って欲しいわ(笑)
増子直純(怒髪天)
ニューエスト・モデル――。
すでに伝説となった感のある不世出のロック・バンドが2016年、結成30周年を迎えた。いうまでもなくソウル・フラワー・ユニオンの前身バンドの一つで、ジャンルの枠を踏み越えた約9年の活動ののち、盟友メスカリン・ドライヴと統合してソウル・フラワー・ユニオンに発展、現在までさまざまに形を変えながら全方位的な活動を続けている。
バンド史を駆け足で辿ろう。大阪でいくつかのバンドに在籍していた中川敬(Vo,G)が、自らフロントでギター&ヴォーカルをとるべく1985年の師走、ニューエスト・モデルを結成。当初のメンバーは中川と髙木基弘(Ba)、ベン(Ds)で、少し遅れて奥野真哉(Key)が加入、髙木に代わって(ヘルパーの高原敏和を挟んだのち)鈴木友之(Ba)が参加。怒涛のライヴ活動と並行し、カセットテープ、ソノシート、EPの自主リリースといくつかのオムニバス・アルバムへの参加を経て、1988年に1stミニ・アルバム『センスレス・チャター・センスレス・フィスツ』を放つ。中川の突出したソングライティングの妙と横溢する詩情、従来のパンク・バンドにない奥野のグルーヴィーなオルガンの存在感が一躍脚光を浴びるなか、同年、メスカリン・ドライヴと共に立ち上げた自主レーベル“ソウル・フラワー・レコード”第1弾として2ndアルバム『プリティー・ラジエーション』をリリース。前作同様、パンク・ロックや60’sモッズ・ミュージックに依拠しながらも、<エンプティ・ノーション>など数曲に、早くもその枠から逸脱したミクスチャー・センスの萌芽を認めることが出来る。
1989年、メジャー各社争奪戦の末、“関西在住のまま活動”“ソウル・フラワー・レーベルごと移籍”“外部プロデューサーは付けない”など前例のない条件付きでキングレコードと契約。鳴り物入りのシングル<ソウル・サバイバーの逆襲>と3rdアルバム『ソウル・サバイバー』を連続リリース。ビートルズやローリング・ストーンズ、ソウル・ミュージックがルーツにあることを窺わせる起伏に富んだ楽曲が並び、同世代のバンドとは明らかに一線を画したサウンドを確立している。ここで示した進化は1990年の4thアルバム『クロスブリード・パーク』で爆発的に開花する。カリプソ/ソカ風の<雑種天国>、アイリッシュ・トラッド風の<杓子定木>、カウ・パンク調の<乳母車と棺桶>、ファンク・ロックな<ひかりの怪物>など、多彩な要素を消化したそのサウンドは、旧来型のロックの規格には到底収まらないものだ。
そして1992年、集大成となる5thアルバム『ユニバーサル・インベーダー』を産み落とす。先行シングル<もっともそうな二人の沸点/報道機関が優しく君を包む(PART.1)><知識を得て、心を開き、自転車に乗れ!(PART.1&2)>(共に1991年)の圧倒的評価も追い風となり音楽メディアを総ナメ、オリコン・チャート初登場10位のスマッシュ・ヒットを記録した。メスカリン・ドライヴが全面参加し、ジャケットにも両バンドメンバー全員が収まる本作で音楽性、人気とも頂点を極めた後、両バンドの融合が進み、Pファンク化。急加速して前進しながら1993年のソウル・フラワー・ユニオン始動へとなだれ込む――。
猛スピードで駆け抜けた約9年間に残した代表曲による新たな定番ベスト・アルバムが久しく待たれていたところに、2016年、結成30周年を記念して生まれたのがこの『ザ・ベスト・オブ・ニューエスト・モデル1986 -1993』だ。デジタル・リマスタリングによる2枚組全36曲のフル・ヴォリュームで、ニューエスト・モデルのファンにとっても、ソウル・フラワー・ユニオンから遡ったビギナーにとっても嬉しい決定版といえるだろう。二人三脚で並走したメスカリン・ドライヴについても付記すると、ニューエスト・モデルに先んじて2015年に結成30周年を迎え、メジャー移籍前にインディーズで発表した全音源を時系列で収録した『アーリー・メスカリン・ドライヴ1985 - 1989』が異例のヒットを記録している。
ニューエスト・モデルと地続きのソウル・フラワー・ユニオンの活動に触れないわけにはいかない。1993年の1stアルバム『カムイ・イピリマ』、1994年の2ndアルバム『ワタツミ・ヤマツミ』は、それぞれメスカリン・ドライヴ、ニューエスト・モデルのライヴ・レパートリーを継承しつつ、トラッド・ミュージック、土着のグルーヴに接近。1996年の3rdアルバム『エレクトロ・アジール・バップ』は、1995年の阪神・淡路大震災を受けて結成された別動ユニット“ソウル・フラワー・モノノケ・サミット”で被災地・神戸に入り、高齢者や沖縄出身者、在日コリアンなどと交流を深めるうち、さらに幅を広げた音楽性を反映した初期の大傑作だ。神戸の焼け跡で生まれた名曲<満月の夕>は、2011年から東日本大震災の被災地を慰問するアコースティック・ユニット“ソウル・フラワー・みちのく旅団”の活動で東北に伝播し、今日も津々浦々で歌い継がれている。
被災地や寄せ場での活動に加え、1996年頃から海外ライヴも本格化。北朝鮮、香港、ベトナム、フィリピンのスモーキー・マウンテン、アイルランド、韓国、東ティモール、フランス、ヨルダンのパレスチナ難民キャンプ、台湾などでライヴを行い、2007年からは沖縄・辺野古の音楽イベント“ピース・ミュージック・フェスタ!”に携わるなど、首尾一貫した現場主義の活動は今に続いている。
世界中のあらゆる音楽と格闘しながら噛み砕き、楽曲として昇華すること。これこそがニューエスト・モデルのデビュー当時から一貫した混合作法であり、ソウル・フラワー・ユニオンが目指すオルタナティヴ・ロックンロールの真髄だ。本作『ザ・ベスト・オブ・ニューエスト・モデル1986 - 1993』は、30年の長きにわたる格闘史のうち、とりわけ爆発的な進化を遂げた最初の9年間の記録である。