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2007年2月24&25日に沖縄の辺野古ビーチ(在日米軍海兵隊基地キャンプ・シュワブ側)で行なわれた『ピース・ミュージック・フェスタ!辺野古 2007〜わったーしまはわったーがまもる』の、ソウル・フラワー・ユニオン、ソウル・フラワー・モノノケ・サミットのステージ映像を完全収録! |
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“辺野古”とは---
沖縄県名護市東海岸に位置する「辺野古」は、日米両政府が造ろうとしている米軍基地の予定地。政府やマスコミは「普天間代替施設」と呼んでいる。 県内での基地たらい回し、周辺への騒音や事故の危険性、絶滅危惧種のジュゴンなどに壊滅的な影響を与える環境問題、そして在日米軍基地からのイラクをはじめとする海外への出撃など、多くの問題から、基地建設に対する反対の声は強い。 1997年におこなわれた地元名護市での市民投票では、基地建設に反対する票が過半数を超え、その後、閣議決定までした計画は市民によるねばり強い阻止行動によって2005年に事実上撤回された。にもかかわらず日米両政府は、辺野古に隣接するキャンプ・シュワブ沿岸部で、なおも基地建設を強行しようとしている。 (text/小林アツシ) |
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ゼロと無限大が交差する場所、辺野古に、フラワーズが吠えた
音楽に何ができるのか。ミュージシャンに何が歌えるのか。はるか、いにしえのロック時代から、二つの設問は繰り返されて一度たりともまともな答えが出ることはなかった。
だが、コトは簡単なことのように思うのだ。歌は権力ある者の側にはなく、歌は持たざる者、現世に苦しむ人たちの心の中にこそあって、歌は歴史的に彼らのなかで熟成・醗酵してきた。答えの根は、そこにある。ぼくらが今知っているほぼすべての音楽がその「根」とつながる。だから、音楽に何ができるのか? ではなくて、なぜ歌手は歌うのかであり、それは母体へと回帰すること、その激しい衝動なのである。
沖縄の拝所を訪ねればわかるが、根とつながる場所には何もない。殺風景な空間だけがあって、ぼくらはそこで過去と永遠を感じることだけを求められている。そして、昨年(2007)の2月、辺野古の浜辺にも拝所ができていたんだね。そう思うのはぼくだけだろうか。この、ある意味、ロック世紀の究極とも言える(二つの)ソウル・フラワーズの実況映像が何よりも物語っているじゃないか。ほとんど何もない場所で、恐ろしく情熱的に歌い演奏するフラワーズ! そのナゼは、彼らが母なる根の場所に帰ってきたからこそ「歌えた」…のだった。
沖縄本島・名護市の外れ・ど田舎のHENOKOは、現代日本のヘソである。HENOKOには戦争と平和、支配と被支配、差別と貧困、そして環境問題…「人と地球」のすべてが勢ぞろいしていながら、見た目は単なるひなびた漁港なのだ。なにか「ある」とすれば浜辺を分断するサビた鉄条網くらいか。ジュゴンなんて見えやしない。だがソウル・フラワーの人たちは、そしてこの二日間のイベントに参加したぼくらは、感じていたのだ。本当の歌のありかとは、「ここ」であったのだと。ゼロと無限大が交差する場所、辺野古に、やはり彼らフラワーズはやってきた。そして吠えた。その大切な記録である。
(追記:たっぷりあるライナーも素晴らしい。特に、文字通り命を賭けて非暴力運動をされておられる平良夏芽師のお言葉は、何度読んでも胸に突き刺さる)
テキスト / 藤田 正
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