古今東西、この世で才能があると言われるミュージシャンはあまたある。だが、その才能の恩恵を、きちんと世の中に役立てることができる者は、果たしてどれくらいいるのだろうか? ミュージシャンが賞賛されることにのみ、作詞作曲、演奏の才能が費やされてしまうのなら、その音楽を聴く者にとって、彼らの音楽が価値のあるものと成り得るのは何故なのだろう? 別にチャリティの類いを言っているわけではない。チャリティはチャリティで、その意義を否定するつもりはないが、ミュージシャンはあくまでも音楽を奏でることで、世の中にリンクする生き物である。音楽に伴う経済効果を無視することはできないにしても、まず作品そのものの内実が、価値として成り立っていなければならない。 ソウル・フラワー・ユニオンが90年代に残した業績は、まさにそうした問いに対するひとつの答えを示している。本作は彼らがキューン・レコードに在籍した93年から99年までの間に発表したシングル、ミニ・アルバムの収録曲を発表年代順に収め、ボーナス・トラックとして貴重な未発表音源を加えた二枚組だ。曲目に目を通せば一目瞭然だが、全34曲構成の中に、本作のタイトルともなった「満月の夕」は、なんと4つものヴァージョンが収められている。 よく知られているように、この楽曲は彼らが95年にソウル・フラワー・モノノケ・サミットというアコースティック・ユニットを立ち上げ、阪神・淡路大震災の被災地の慰問ライヴを精力的に行う中で生まれた。曲調には被災地の人々に少しでも音楽で役立ちたいという思いから、流行り唄の数々をカヴァーした経験が反映されている。ぜひヴァージョンごとの中川の声色の変化に耳を傾けて欲しい。彼の唄は演奏を重ねるごとに、より深くより優しく研ぎ澄まされていく。これは作家性というようなちっぽけな自意識ではなく、被災地という現場に居合わせた人々とソウル・フラワー・ユニオンの生命の奥からの交歓の産物である。<悲しくてすべてを笑う>しかない現場に共に立ち、そこで何かをしようとした時、彼らは唄を差し出すしかなかったのだ。 これは彼らにとって新たな出発点であった。その後に生み出された楽曲には、世界中の現場にいる人々に、<解き放て いのちで笑え>という呼びかけが、以前よりもはるかに濃密に宿っている。つまりソウル・フラワー・ユニオンは、ある種の使命感ともいうべき覚悟を持って、その才能を駆使するようになったのである。 2008年2月 志田歩 |
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