1993-1999 EPISODE

1993-1999 EPISODE

■1993.2上旬 「ソウル・フラワー」の成り立ち、近況、将来について等に話題は集中した。
☆「先にレーベルっていう殻がくるんじ ゃなくて、なんかもっと内部から作っていこうとしてて……。例えば「天皇制」をどう思っているのかとか、レーベルのことっていうよりも、もっと日常にいろいろある細切れのイデオロギーをメンバー間で確認し合ってたな。そんな個人が集合して、どんどん膨らんでいくっていう形にしたくて始めたのが「ソウル・フラワー」なんよね」
(伊丹談:雑誌『デイリー・アン』より抜粋)☆「なかなか周りからは理解しにくいと思うねんけど、「会社を作ろう」みたいな話じゃなかったからね。個人個人が自立・独立している、そういった集団やないとダメやと。「自決の表現」やっていう原理はハッキリさせとかなアカンって最初から思ってた」
(中川談:雑誌『デイリー・アン』より抜粋)
■1993.3.24 新宿パワーステーションでのライヴ
☆「巨大な擬装ピラミッドを建築し、お互いをピンで止め合う我ら「日本人」。封じ込められた「うた」はもはや虫の息だ。チャンプルーズの音楽は「当たり前」に響く。そんな表現の振幅がこの列島ではあまりに物珍しいから、当然彼らは突出してしまう。--ソウル・フラワー、荒野でチャンプルーズと出会う。「合いの手」は確実に興奮を呼ぶ。」

(チャンプルーズの告知ビラに掲載された中川のコメントより)

■1993.4.5 限定発売。
トラフィックの〈ミスター・ファンタジー〉、スタイル・カウンシルの〈ストレングス・オブ・ユア・ネイチャー〉、ラウドマシーンの〈リヴェンジ〉等のカヴァーや、〈知識を得て、心を開き、自転車に乗れ!〉に挿入されたラスト・ポエッツやファンカデリックのリフレイン等も貴重な音源。
■1993.4下旬 メスカリン・ドライヴのニューアルバムのレコーディング。
92年に宙ぶらりんであったレコーディングの再開。〈ひぐらし〉におけるKYONのローズ・ピアノ、〈人力飛行機〉における金子飛鳥氏のフィドル、〈おまえの村の踊りを踊れ〉での梅津氏のサックス等々名セッションが繰り広げられた。
■1993.5.2-3 「ソウル・フラワー・ユニオン」の明記をする
◎「個性を持ち寄り、集団としての「一表現」を完成に至らしめるには、ある意味で「日本的ピラミッド構造」からの脱却が問われる。個人単位での創造が稀薄な限り、いくら有名人が集まってみたところで「仲良しクラブの余興」を越える表現にはなり得ない。今回のライヴから、私たちメスカリン・ドライヴとニューエスト・モデルがバンド名の後にそれぞれ「ソウル・フラワー・ユニオン」を明記するに至った理由はそこにある。「尊重すべき個人が」集まった「自決の表現」が「ソ ウル・フラワー・ユニオン」の原理であり、すべての不自由な枠組みを超えた所こそを私たちは歩いていきたい」

(伊丹談:雑誌『ワッツ・イン』より抜粋)

■1993.5.5 特に最後のセッションは大いに盛り上がった。
中川の歌う〈夢の中〉、〈さかなごっこ〉、 どんとの歌う〈こたつ内紛争〉、〈ヘイ・ポッキー・アウェイ〉、どんと・中川・内海が交互に歌うチャンプルーズの〈サバニ〉、最後は〈ダイナマイトに火をつけろ〉で締めくくられた。このライヴの模様は、ケーブルテレビでも放映された。

◎大木談

「俺にとっては大好きなボ・ガンボスとの初セッションやったから、緊張したなぁ。初体験のツイン・ドラムに、顔のニヤケを押さえるのに必死やった(笑)」

◎内海談

「ちょっと気合いを入れて、アフロのかつらを新調してみてんけど、みんなに“かわいくない”って言われて、今はタンスで眠ってます」

■1993.5.6 フォト・セッション(富士山麓にて)。
◎太郎談

「朝霧高原で撮ったんやけど、5月とはいえ夕風がきつくて、着物一枚の撮影は寒かったな。すぐそばに国道が通ってて、着物を着た変な集団がおるっていうことで、通りすがりの車はみんな一回は止まってたな」

■1993.8.8 台風のためにライブ中止。
◎内海談

「この日、当日入りで台風と一緒に沖縄上陸したんや。着いたらいきなり、中止の知らせが入って。大阪ではあんだけ大袈裟に騒いでたのに、沖縄の人らは台風慣れしてるみたいで、町もいつもどおり平然とした感じやったな」

■1993.8.14 横浜・寿町
◎伊丹談

「8月10日にオヤジが死んで、葬式と寿町のギャップの大きさに、自分がどこにおんのかわからんような感じやった。道端で酒飲んでるオヤジが全部自分のオヤジに見えたりして(笑)」

■1993.9 ソウル・フラワー・ユニオン結成にあたっての宣言文
ソウル・フラワー・ユニオン結成にあたっての宣言文

元ニューエスト・モデルの中川、奥野、元メスカリン・ドライヴの伊丹、内海を中心に、“4人編成のロック・バンド”では成し得なかった伸縮自在で柔軟な形態のユニット、経験主義・分業主義に寄り掛からない真の意味での過激な音楽集団を目指す。“個人単位に於ける創造が”希薄な“仲良しクラブの余興”とは一線を画し“尊重すべき個人”が集まった「自決の表現」を続けることこそが我々『ソウル・フラワー・ユニオン』の原理である。『ソウル・フラワー・ユニオン』はあらゆる現場で孤軍奮闘あいている心ある人々との連帯を望んでいる。

ソウル・フラワー・ユニオン

伊丹英子・中川敬・奥野真哉・内海洋子・河村博司・高木太郎