1982-1988 EPISODE
■1986.4.13 奥野真哉が偶然、客としてニューエストを初めて観る。 |
◎奥野談
「対バンのルード・ボーイズの方を観に行ったんやけど、たまたま最初にニューエストが出てきて、とにかく中川の声のデカさにびっくりしたんや。なにせ楽器よりも声の方がデカかってんもんな。以前からチラシとかで名前は知っててんけど、そのチラシを見て、すごい顔のデカい人達やなぁって印象を持っててね(笑)」 |
■1986.6.30 3曲レコーディングする。 |
◎伊丹談
「その頃ニューエストは月1のペースでエッグ・プラントに、メスカリンは磔磔に出演してて、お互いブッキングが悩みの種やったから、それやったら紹介しあおうっていうことになって、磔磔にテープ持って行ったりしてたわ。その時ソノシート用の3曲を聴かせてもらってんけど、“いきなりパンク色が強くなったなぁ”っていう印象を持った覚えがあるわ」 |
■1986.8上旬 自主制作で発売。 |
◎中川談
「プレス工場から送られてきた現物を見た時はホンマうれしかったね。なんせソノシートと言えども、全部自分らで作った「レコード」な訳やからね。しかし暑さに弱い「レコード」やったなぁ(笑)。1000枚売るのに必死やった」 |
■1986.8.4 奥野、初めてメスカリンを体験。 |
◎奥野談
「中川に“奥野の好きそうな音やで”とか言われて一緒に観に行ったんやけど、メンバーがステージに現れた時のインパクトは今でもハッキリ覚えてるで。洋子ちゃんは頭一面に花をつけて真っ白なウェディング・ドレス(笑)、あとのメンバーも超ド派手な格好で、一体この人ら何物やねんみたいな世界やった」 |
■1986.8.7 初の東京ライヴ。 |
◎ベン談
「生まれて初めての東京やったから、“ああ、これが花の都東京かぁ”って妙に感動したわ(笑)。別に東京に憧れてた訳やないねんけど、みんな東京弁でしゃべってて気持ち悪かった。テレビドラマの中に入り込んだみたいな変な感じで」 |
■1986.8.11 初の東京ライブ。 |
◎内海談
「対バンが最悪。某化粧バンドやって、私らを楽屋から締め出して3時間も化粧してて、ほんまどついたろかと思ったわ」 |
■1987.1.31 ラウドマシーン改名GIG。 |
◎中川談
「今をときめくルーズが改名するっていうんで、とにかくロフトは超満員。ライブハウスであそこまで沢山の人の前で演るのんは、ニューエストとしては初めてのことやったから、異常に燃えたな。確か、この頃から固定客もつきだして、ライヴ活動にますます拍車がかかる訳やね」 |
■1987.3.14 ソノシートのレコーディング。 |
◎中川談
「〈コカイン・ベイビー〉でギターを演らしてもらったんや。人のレコードで弾くのなんか当然初めてのことやねんから、マジメに取り組んでもええ筈やのに、今聴いたら結構適当やねんな(笑)。結局、このソノシートも1000枚作ってんけど、評判良くて、ニューエストの時よりも全然早く売り切れたんや」 |
■1987.4.18 ソノシートのジャケット撮影 |
◎伊丹談
「デモテープの時とは逆で、今度はニューエストのソノシートを見て、作りたくなったんやね。このジャケット撮影の場所は丹波橋のラブホテルの非常階段で--この日、そのラブホテルの一室でサイケ・イベントのライヴがあってん--今考えても変なイベントやった。ジャケットの印刷代が思ったより高くかかって、私は借金地獄に突入するんやね(笑)」 |
■1987.4.20 EP発売 |
◎奥野談
「俺にとって初めてのレコードやったから、当然すごくうれしかった。うれしさのあまり、家の近所のレコード屋に置いてくれって持っていってんけど、全部断られてもうて(笑)」 |
■1987.5.14 京都ビッグバン |
◎奥野談
「打上げの後、高木(ベース)が途中ではぐれてしもて“おかしいなぁ”とか言って探したら、その辺のヤンキーと大ゲンカしてたんや。この頃、ケンカやいざこざが多くて、音楽におさまりきらへんパワーに満ちとったな。そんなこんなでこの半月後には俺が車にはねられんねんな、かっこエエやろ(笑)」 |
■1987.5.26 京都磔磔 |
◎奥野談
「この時初めてメスカリンの運転手として同行してんけど、ヒデちゃんに“気つけて、慎重に、早く行って。ホンマ気つけてな”(笑)って言われて、“これは俺は頼りにされてへん。一発エエとこ見せとかな”って思ったら、次の日駐禁とられとって、“こらアカンわ”って落ち込んだんを憶えてる」 |
■1987.6.3 奥野が車にはねられ重傷を負う。 |
◎ベン談
「ライヴが終わって飲みに行ったんやけど、なぜか奥野はそこにおらんかったんや。しばらくして、帰ろうかと思ってたら、“奥野が車にはねられた”って連絡が入って」 |
■1987.7.17 京都磔磔 |
◎内海談
「この日初めて、ライヴが気持ちええって感じたんや。それ迄は何かとリズム隊の影が薄くて、ギターの“ドローン”とした感じに頼ってしまいがちやってんけど、ベースが替って音の足元がしっかりして、初めて安心して唄えてんね。この頃から(それ迄ほとんどなかった)コーラスの占める割合も多くなったんとちゃうかな」 |
■1987.8.26 目黒ライブステーション |
◎奥野談
「運転手としてツアーに同行したんやけど、途中東名の終わりの辺で車がブッ潰れてもうて、夏の暑いさなか、みんなで車を押したりしたな。メスカリンは普段から派手な格好してたから、パーキングで車押してる姿ときたら、それは異様な光景やったで」 |
■1987.8.30 大阪中之島野外音楽堂(パンク・イベント) |
◎ベン談
「今でこそ、月9本なんてたいしたことないねんけど、この頃は俺一人就職してたからなぁ(あとのメンバーはバイト)。(仕事場の)上司に呼び出されたりして大変やったけど、結局クビにはならんかったわ」 ◎中川談 「整合性のないブッキングの取り方やねぇ(笑)。全部、移動は4人乗りのバンやってんで」 |
■1987.10.28〜29 3曲をレコーディング。 |
◎中川談
「〈イッツ・ユー〉の鎌ちゃん(その頃のベース)と2人でやったバック・コーラスなんて、まさに“適当”の極地やね。なんであれでOKが出るんや(笑)」 |
■1987.11.3 東京・駒沢大学学園祭。 |
◎伊丹談
「学祭ってこともあって(ライヴの)持ち時間は短かかったんやけど、待ち時間の方は腐るほどあって、その時暇に任せて楽屋で作った曲が〈アイ・ドント・ライク〉やったりするんやな。この頃のニューエストは「波に乗り乗り」っていう感じで、演奏にもすごい勢いがあったわ。曲調もどんどんスピードアップしていって、1曲があっという間に終わるんや」 |
■1987.12.1 この日、名曲〈ノー・ノー・ガール〉初登場。 |
◎内海談
「この頃から急に固定客が増えたように思うなぁ。この日出てた他のバンドも当時人気あるバンドやったし、私ら“トリ”で、“(お客さん)みんな帰ってまうんちゃうか”っ思ってたら、一番客のノリが良くてビックリしたんを憶えてるわ」 |
■1987.12中旬 新ベーシストに浅野フジコ加入。 |
◎伊丹談
「フジコちゃんはほとんどベース初心者やったけど、(演奏が)出来へんかっても、やたら堂々としてる所がこの時のメンバー4人の共通してる点やったと思うわ」 |
■1988.3.13 ラウド・モデル。 |
「フジヤマ・ガンガンファイト」に「ラウド・モデル」急遽出演。メンバーはラウド・マシーンの3人に、ギターで中川参加。 |
■1988.5.5 アルバム用フォト・セッション |
◎伊丹談
「この時撮った写真は今でも凄く気に入ってんねん。確かニューエストが西部講堂でライヴやってて、それを観るついでに京大の近所で撮影したんやね。凄く天気が良くて、私が狙ってた通りハレーション気味の写真が撮れたんや。京大の中に車を止めて、車中で着替えてそのまま校内をウロウロしてたから、クラブしてる学生が不審な顔して見てたんを憶えてるわ」 |
■1988.6.26 京都どんぞこハウス。 |
◎太郎談
「ニューエストをちゃんと観たのはこの日が最初やね。「曲間なし、ブッチギリ、パワー全開」っていう感じのライブで、とにかく強力やったで。ライブ前に横の公園でみんなで野球やったにもかかわらず、や。その体力に圧倒されたなぁ。それからは京都でライヴある度に観に行った。メスカリンのおふた方に会ったのも、この日が最初」 |
■1988.7.24 目黒ライブ・ステーション。 |
◎太郎談
「たまたま東京に行ってて、このライヴは見てんねん。例のごとく怒濤のようなライブを演った後、次の日仕事があるベンはすぐに車を運転して、朝大阪に着いたらそのまま仕事に行きよった。鈴木は“途中で運転代わったるわ”とか言いながら、ずーっと寝とった(笑)」 #中川と奥野は『プリティ・ラジエーション』レコーディング仕上げのため、東京に残った。 |
■1988.7.24 インディーズのベストセラーに。 |
◎伊丹談
「出来上がったレコードを見た時にはホンマ嬉しかったわ。ホンモノのLPサイズやもんな。雑誌のディスク・レヴューでも評判良くて、この頃からライヴ・レポートなんかも出始めたりしてんけど、なんか(注目されているっていう)実感が湧かへんかったな」 |
■1988.10.30 反原発イベント。 |
◎中川談
「この時ゲストでアレン・ギンズバーグ(*1)が来日してて、ステージの裏で向こうから握手を求めてきてね。はっきり言って有頂天になった(笑)。ギンズバーグの詩の朗読もすごい良かった」 (*1) 詩人。ビートニク(ビート・ジェネレーション)を代表する。「月に吠える」など。 |
■1988.11.15 大阪ミューズ・ホール |
◎ベン談
「太郎ちゃんの最初のライヴがこの日やってんけど、フロントの“派手女”三人の後方約2mの所でドラムを叩いてる姿は、えらい小さく見えた(笑)」 ◎太郎談 「ガチガチに緊張してて何が何やら分からんうちにライヴが終わってしもたっていう感じやったな。後でテープ聴いたら全編速いのなんのって……ホンマ、冷汗もんやったで」 |
■1988.11.18 結局ライブはウィラード終演後に3曲しかできなかった。 |
◎中川談
「24時間かけてやっと着いたにもかかわらずや。結局、ウィラード次第やってんけどな。NOが出た訳や。ホンマ腹立つ」 |
■1988.11.22 ライヴ出番30分前に来られない |
◎ベン談
「メスカリンのメンバーは何事もなかったかのようにライヴを演ってて、さすがメンバー・チェンジを繰り返してきたバンドは強いと思った」 |
■1988.12.16 大阪エッグ・プラント |
◎永野談
「この時初めてニューエストを見てんね。対バンはグルヴァーズやったと思う。弾丸みたいなサウンドと中川の目ン玉が強烈で“これがパンクっていうやつか”って思ったわ(笑)」 |