[ HISTORY「演奏の記録 インターナショナル」一覧 ]
ソウル・フラワー・モノノケ・サミット
パレスチナ難民キャンプライブ
date 2005/06/15(木)
title パレスチナ難民キャンプライブ
place ヨルダン
members SOUL FLOWER MONONOKE SUMMIT【中川、奥野、河村、中西、大熊 ワタル  】
setlist
・パレスチナ難民キャンプ

・紅海船上ライブ

		1.美しき天然
		2.ハイカラ・ソング
		3.水平歌メドレー
		4.ラッパ節
		5.カチューシャの唄
		6.聞け万国の労働者
		7.アリラン
		8.ピリカ
		9.満月の夕
		10.お富さん
		11.安里屋ユンタ
		12.チョンチョン・キジムナー
		13.もずが枯木で
		14.釜ヶ崎人情
		15.がんばろう
		16.竹田の子守唄
		17.東京節
		18.インターナショナル
		19.さよなら港

		アンコール
		1.有難や節

ソウル・フラワー・モノノケ・サミット、パレスチナ難民キャンプ&地中海の旅(2005年6月)

文:木下壮(ピースボート)

■パレスチナ難民キャンプライブ@ヨルダン

 2005年6月14日、ソウル・フラワー・モノノケ・サミットのメンバーは、飛行機で16時間(それ以外にトランジットで11時間)かけ、アラブの地、ヨルダンのアンマン空港に降り立った。
 ヨルダンの人口の半分以上は、パレスチナから移り住んで来た難民が占めている。彼らが故郷を離れ暮らす「難民キャンプ」での演奏が今回のツアーの目的だ。これまでもピースボート・クルーズに合わせ、フィリピンのスモーキーマウンテン、ベトナム、香港、北朝鮮、国後島と、一筋縄ではいかない場所で演奏を行っている彼らの、「アラブ初ライブ」となった。

 ヨルダンの首都アンマン郊外の「ハッティン難民キャンプ」の人々との交流会会場は熱気で蒸し返っていた。それもそのはず、ただでさえ暑いヨルダン、訪門したキャンプの大人から子ども、100名を越すピースボートの参加者、現地警察までも入り乱れ、会場がぎゅうぎゅう詰めとなっているのだから。
 夕暮れ時に演奏がスタート。3曲目に差しかかったあたりでトラブルは発生した。片方のスピーカーから全く音が出ない。キャンプ内の電圧が不安定なことは事前に分かってはいたが、今までに発生したことのない事態にPAを担当するピースボートのスタッフがバタバタと動き回る。トラブルが解決しないまま進行していくなか、ふとステージに目を向けると、そこにはものすごい汗をかきながらキャンプの人々を見つめ演奏を続けるメンバーたちがいた。その姿をステージ脇から見て、「どんな状況でも自分たちの音楽をそこに住む人たちに伝えるのが一番大事。トラブルは起こるからトラブルなんや」と語った中川氏の言葉を思い出した。
 そして演奏が<インターナショナル>に突入すると、会場のごく一部、最前列に変化が起きた。実は、この最前列はDPA(パレスチナ自治省)の「お偉方」が陣取っている場所なのだが、その「お偉方」がさりげなく足と手でリズムをとっているのだ。ヨルダン政府の組織である彼らは、前回ピースボートが訪問したときからメンバーが総入れ替えとなり、キャンプ訪問の事前交渉も難航していた。キャンプ内で何か「事態」が起きないかを監視しているのだ。当然、演奏を聞くために来たわけではない彼らにまで「ソウル・フラワーの想い」が伝わってしまったのだ。そんな彼らだけでなく、会場を落ち着きなく動き回る子どもたち、今までに全く聞いたことのない音楽を聴いて驚いたり、若干戸惑ったりする大人たち、それぞれが思い思いにモノノケ・サミットの音楽を感じ取った。そんなこんなで約1時間が過ぎたころ、イスラム教徒であるキャンプの人々の礼拝の時間が迫り、あわただしくライブは終了していった。
 機材を抱えバスに乗り込もうと会場の門を後にしたメンバーを、演奏を聴いた現地の子どもたちが待ちかまえていた。子どもたちに囲まれてバスまでもたどり着けない。それぞれの手にサインのようなものを求める子もいれば、足にくっついて離れない子もいる。日が落ちて夜になると治安が悪くなるという現地状況があり、警察が子どもたちを追い払うようにしてバスを出発させた。どこかなごり惜しい雰囲気が漂うバス内で、「明日もここに来ようか(笑)」と言った中川氏の言葉が印象的だった。

 1948年イスラエル建国により、パレスチナを追われた人々が住むこの難民キャンプは、その言葉から誰もが想像する「テント暮らし」などではない。コンクリートで作られた家、市場、病院など、「町」としての機能も備わっている。しかし彼らが半世紀以上暮らすこの地は、故郷でなく「仮住まい」であることに変わりはない。ここに住む難民の多くは、パレスチナの地を踏んだことがない難民二世・三世のキャンプ生まれの世代になっている。彼らが故郷に帰るのは、明日ではないかもしれない。しかし、いつか彼らが故郷に帰るその日まで、ソウル・フラワーは演奏を続けるだろう。そう感じさせる難民キャンプ・ライブだった。

■ヨルダンにて

水タバコに出会ったアンマンの町
 アンマン空港からバンでホテルへ向かい、18時に到着。16時間のフライトを経て到着したメンバーは、もちろんヘトヘト。と思いきや、「その地のことは町へくりださないとわからない」ということで、休む間もなく一行はアンマンのダウンタウンへ出発した。
 定時刻にはコーランが響き渡るアラブの町中に、一軒のアラブ料理屋を発見。薄暗い階段を4階まで上がっていく、地元の人向けの店のようで、店内には観光客は一人もいない。さっそく数種類のアラブ料理を注文し、ものすごい量の鳥肉料理で満腹となった。となれば、当然お決まりの「水タバコ」を注文。アラブではアルコールを飲まない代わりに、この水タバコをふかしながら友人同士1・2時間延々と団欒を楽しむ。水タバコ初挑戦のメンバーもさすがに30分でギブアップ。しかし「タバコが吸えない人でも楽しめる水タバコは日本でも儲かるかも」と、真剣に日本初の「水タバコ・カフェ」オープン計画を練るメンバーたち。と、そんな話をしながらアラブ初の晩は更けていった。
死海で1時間越え
 『死海は塩分濃度が高いため、浮遊体験は長くても10分。体内の水分が取られてしまい危険です。』という注意事項がある死海。パレスチナとヨルダンに挟まれた、世界で最も低い場所だ。ヨルダン側から死海を挟み、対岸にはパレスチナの町「ジェリコ」を望むことができる。
前日にアンマンでの難民キャンプ・ライブを終え、ピースボートのトパーズ号が待つアカバ港へ向かう途中に、ソウル・フラワー・モノノケ・サミットの一行は死海へと立ち寄った。体が勝手に浮かぶ浮遊体験は楽しいが『注意事項』の通り、10分浸かると体中が痛くなる死海。ここで1時間15分浮かび続けていた人物。それが中川敬。恐るべし。

■船内ライブ

 6月17日、ヨルダン出港翌日というハードスケジュールの中、トパーズ号船上にて「船内ライブ@紅海」を開催。10・20代と60代以上の年齢がピースボート参加者層の中心を占めている。もちろん若者は大盛り上がりだが、年配者のうけもスゴイ。<がんばろう>が演奏されると拳を上げる年輩夫婦。<安里屋ユンタ>が始まると沖縄から参加したおばあちゃんがカチャーシーを踊り出す。
そんなライブの翌日からは、あちこちで「昨日のライブよかったわよ」とおばちゃんに話しかけられるメンバーの姿が。メンバー曰く、狭い社会の船内生活は、これが続くと辛いんだとか。

■エジプトにて

権力者の墓に行かないで「町」へ
 「エジプトと言えばピラミッド」。いつ誰が決めたか分からないが、誰もが一生に一度は見たい世界遺産と言われている。モノノケ・サミットがクルーズに乗船する区間内にちょうどエジプト・ポートサイド港に寄港するため、ピースボートのスタッフは一行が全員ピラミッドを見に行くものだと思いこんでいた。が、読みは甘かった。「昔の権力者の墓見て何がオモロイんや?」という中川氏の一言で、急遽予定を「アラブ町中散策」に変更。ヨルダンと同じく、町を見ないとその場所は分からない。ということで迷路のようなカイロの町を歩き回るが、あまりの文化の違いにお土産はほとんど買えず帰路へついた。夕食にエジプト料理の「鳩」をたいらげ、「ピラミッドを見ないエジプト」を満喫した。
 メンバーの中で奥野氏・中西氏だけがピラミッドへ訪れたので、その「権力者の墓」がどんなものだったかは2人だけが知っている。

■食材管理スタッフは元暴走族

 4日間のクルーズ中、メンバー(主に中川氏)は毎日朝までスタッフと飲み明かした。そんなスタッフの一人、上野は「元暴走族・高校生活一週間未満」という経歴の持ち主。現在は船の食材管理の現場に身を置き、参加者1000名分の食材を管理している彼が今回の「難民キャンプ・ライブ」を企画したのだ。
 そんな彼と中川氏は意気投合し、これからの日本社会、ピースボートの未来、恋の話、世界情勢 … などなど、夜通し語り明かした。よくもこんなに話すことがあるものだと思うが、中川氏自身もミュージシャン同士でこんなに社会的な話をする機会は減っているそう。一方の上野も日々参加者が楽しむ影で「裏方」の仕事を続けているので、話し相手は少ない。寂しい者同士(笑)、お互いが思いの全てをぶちまけあった形だ。

■シチリアにて

グラン・ブルーの海
 最後の寄港地となったシチリア島のカタニア。シチリア島といえば、映画『ゴット・ファーザー』『ニュー・シネマ・パラダイス』など、数々の名画の舞台として知られている。当然気合いを入れて訪れたが、残念ながらそれら名作映画の舞台はシチリア島西部のパレルモ方面に多くある。寄港したのは東海岸のカタニアということで、「期待外れでガッカリ」と思いきや、列車で1時間ほどの場所に、映画『グランブルー』の舞台があるとの情報が。HP上で映画評論を続けている中川氏がそこへ行かないはずがない。
 訪れたのはシチリア島でも有数の観光名所として知られているタオルミーナのイソラ・ベッラ。崖の下にはビーチとエメラルドグリーンの美しい海が広がっている。早速、土産屋で海水パンツを買い込み、いざビーチへ。ビーチと言ってもゴツゴツした石が一面に広がっていて足が痛い。しかも水の中は非常に寒い。しかしそこでも、ヨルダンの死海に引き続きずっと浮かんでいたのは中川氏。『グランブルー』のジャック・マイヨールの気分を味わっていたのだろうか……。

■旅を終えて

 自分と「違うもの」に出会うことは心底楽しいものだ。何となく日常を過ごしていると忘れてしまいそうな「出会い」を改めて感じることができるのが旅の醍醐味でもある。今回の旅の中でソウル・フラワー・モノノケ・サミットが出会ったものは、難民キャンプで暮らす人々、船内の人々、海 … とこれまで書き連ねてきた。
 普通の人は、自分と違う環境に身を置いて、文化の違いや人種の違いの「壁」を越え、同じように飯を食べるということに勇気がいる。しかし、それを安々やってのけるソウル・フラワーをみると、その壁を乗り越えること自体が、彼らの活動の「力」となっていると感じてしまう。私自身、この旅での一番の「出会い」は、その「力」を蓄え続け、今なお進化を続けるソウル・フラワーだった。
 彼らを、また別の旅に誘い出す計画を企もう。その「誘い」に乗ってくるか、今から楽しみだ。
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