ソウル・フラワー・ユニオンとして初の純正ロックンロール・アルバムだ。あるいはニューエスト・モデル以来の、と言い替えてもいい。
ニューエスト・モデル~初期SFU にあった、英米ロックの匂いがぷんぷんする楽曲ばかり。
新たにJah-Rah が加わったバンドとしてのグルーヴがロックンロールを呼んだのか、それとも中川敬が50 歳を越えて再び青春し始めたのか、その辺の事情は不明だが、とにかく新鮮。
ソウルフラワーといえばトラッド、ソウル、民謡、ジャズ、パンク、レゲエ、ラテン、サイケ、チンドン、ロックンロール……とそのミクスチャーの雑食性が最大の特徴と思われているフシもあるが、その前に彼らは筋金入りの、日本屈指の、誰よりもかっこいいロックンロール・バンドなのは言うまでもないことで、それが(初めて)全面に出たのがこのアルバムなのだ。
楽曲はロックンロール、サイケ、パンク、ソウルぐらいまでにジャンルを絞り、中川敬は全曲でエレキギターに徹し(アコギなし)、メンバー以外の参加ミュージシャンはギターの木暮晋也ひとり。お囃子もない、チンドンもない。
数多の参加ミュージシャンと共に多様な音楽性が溢れ返るのがこれまでのSFU のアルバムの常だったが、このアルバムは6 人のメンバーが、中川敬のロック・センスが爆発した10 の楽曲のもとに一丸となって疾走する、そういうイメージだ。
そんなロック的な勢いに溢れた曲が続く中、ラストから2 曲目に“ランタナの咲く方へ” という、ミドルテンポのバラッドが収録されている。この曲には、ビートルズもキンクスもザ・フーも、そのエッセンスが溶かし込まれていて、中川敬の60 年代70 年代英米ロックへの究極のオマージュと言えるような楽曲になっている。歌詞も素晴らしく、アレンジも普遍的で、名曲と言える出来だと思う。でも、よく考えると、この曲はこれまでのソウル・フラワー・ユニオンにはあり得なかったと思う。反権力の視点から見た音楽地図を広げようとするSFU 的感性において、英米の王道ロックへのオマージュは優先されるはずもなかったと思う。
そして、今それをやるからには、SFU の中で、中川敬の中で、「ロック」が新たな「必然」を帯びたのだと思う。ロックンロール/ パンク・バンドだった25 年前の彼らにとって民謡やチンドンやトラッドが必然となったように、今、2018 年のSFU にとってこのアルバムこそが必然なのだ。それは何故なのかは、このアルバムを聴けば一発で伝わるはずである。
ロッキング・オン 山崎洋一郎
ついに、ついに、ついに。ソウル・フラワー・ユニオンの新作『バタフライ・アフェクツ』が完成した。全10 曲、44分23 秒。出だしのSE から最後の音の余韻まで一気に疾走していく。まぎれもないロックンロールだ。
すべて中川敬によるオリジナルでカヴァー曲はない。しかも全曲2018 年になってから作られた新曲。全体で連続するストーリーになっている感じで、今現在の時代の息吹が練り込まれている。
ヴォーカルとギター、中川敬。ギターはすべてエレクトリックで、アコースティック・ギターや三線は使っていない。キーボード、奥野真哉。ギター、高木克。ベースとコーラス、阿部光一郎。ドラム、Jah-Rah。コーラス、リクルマイという布陣で録音され、ゲストはギターの木暮晋也(ヒックスヴィル、オリジナル・ラヴ)と、一部コーラスに参加した中川ゆめ(中川敬の息子。11 歳、レコーディング・デビュー!)のみ。音の骨格が太くて粒が立っている。
最近のソウル・フラワー・ユニオンのライヴではリクルマイのレゲエの歌が聴けたり、9 月のライヴでは久しぶりに伊丹英子が加わった演奏を聴けたりと、盛りだくさんの楽しみがあったが、『バタフライ・アフェクツ』は、ベイシックな構成要素で突き詰めていて、タイトでありながら圧倒的にふくよかなビートを紡ぎ出している。グルーヴの強さをキープしつつ奥行きのある芳醇な音になっているところがポイントだ。
オリジナル・アルバムとしては、前作『アンダーグラウンド・レイルロード』(14 年10 月)から4 年ぶり。その間、SEALDs の結成(15 年5 月)と解散(16 年8 月)があった一方で、安倍政権は未だに存続している。アメリカの大統領がオバマからトランプに換わり(17 年1 月)、排外主義が世界規模で広まっている。シリアではアサド政府軍と(15 年9月に介入を始めた)ロシア軍による空爆でおびただしい数の人間が殺されたが、多くの人は無関心だ。しかし、絶望している暇はない。そういう時代に対峙して、自分なりに戦い続けていくしかない。ソウル・フラワー・ユニオンの新作『バタフライ・アフェクツ』は、今回もまた、この根源的な気持ちに寄り添ってくれる音楽になっていて本当に嬉しい。ポリティカルなメッセージを歌詞として直接吐くことはせずに、寓話に落とし込み、普遍的な世界に持って行っている。それが心の奥深くまで入ってきてストンと腑に落ちるのだ。
<バタフライ・アフェクツ>は、サイレンのようなSE で始まる。それぞれの楽器、歌とコーラスが躍動している。リズム・セクションが換わって初めてのアルバムということもあって、とりわけ強靱なグルーヴが印象的だ。「鎖自慢」という残念な感覚がはびこっている現実に立ち向かっている。
<この地上を愛で埋めろ>。冒頭の2 曲は全速力で疾走する。ソウル・フラワーらしい心地よいビートに乗って「愛と怒り」「虚妄とヘイト」といった言葉が礫のように飛んでくる。何について歌っているのかは明白であろう。
<最果てのバスターミナル>は、ミディアム・テンポのサイケデリックな曲。日本の入管による理不尽な扱いを受けて家族が切り離されている人たちへの想いが歌われている。日本は、母国に帰ったら迫害されることが明らかな人が難民認定を申請しても、まず通すことはない。そのかわり「仮放免」という極めて不安定な立場での滞在を認めているが、入管が「退去強制事由に該当すると疑う相当の理由」があると判断したら収容されてしまう。そのため普通なら難民認定される状況の人でも、恣意的運用で入管に収容されてしまうことがある。当事者本人や、仲間でも日本に滞在するための立場が弱い人は、基本的人権に係わることを主張することさえ難しい。したがって物言える日本人が彼らを支援するほかない。
<シングルハンド・キャッチ>は、パンキッシュなロックンロールに乗せて、いじめられている男の子を意を決して助けた女の子が、今度はいじめられる側になり、助けた男の子までいじめる側に加わったという実話をベースに作った曲が歌われる。
<路地の鬼火>は、ニューオリンズっぽいキーボードで始まり、ドラムが入ってきて、スライド・ギターが出てくる展開がカッコ良い。これは和歌山県、新宮の被差別部落を舞台に書かれた中上健次の初期の小説にインスパイアされて作られた曲だ。歌詞に固有名詞は出てこないが、国道42 号線を和歌山側からぐるりと回って新宮に向かう旅の道すがら、さ
まざまな想いが去来している様子が歌われている。青天井の下で土木仕事をやってる友人たちへの賛歌でもあるとのこと。
<インシスト>は、ドアーズの「ハートに火をつけて」みたいな印象的なキーボードで始まる。「黙らない作法」というサビのフレーズが頭の中でぐるぐる回り続ける。
<エサに釣られるな>とは「フェイクに釣られるな」ということ。シリア関連ではロシアの「RT」やイランの「Pars Today」が戦略的にフェイク・ニュースを配信しているし、沖縄関連では名護市長選(18 年2 月)のとき自民党陣営が日ハムのキャンプ地問題に関する「フェイク演説」を行なったりという現実がある。そして残念ながら、フェイクに釣られる人が多く、陰謀論に走ってしまう人もいる。この曲は、そういう現実に対する警鐘を表現の領域で行なっているわけだが、それでいてと言うべきか、それでなおかつと言うべきか、カッコ良いロックになっていて頬が緩む。
<愛の遊撃戦>は、ちょっとレゲエが入っているビートだ。ソウル・フラワー流のパンキー・レゲエで、なかなか良い。ここで歌われているのは、沖縄戦から今に続く沖縄のこと。沖縄県知事選で玉城デニーが勝利(18 年9 月)してはっきり民意が示されたのに、安倍政権は辺野古に新基地を建設する工事を強硬しようとしている。今現在、このことで戦っている沖縄へのエールを表現している。
<ランタナの咲く方へ>。『バタフライ・アフェクツ』は全10 曲、捨て曲なし。絞り込まれ、凝縮された流れが深い説得力を生んでいる。それでもこの曲は群を抜いて素晴らしい名曲だ。ひたすら美しいメロディとスライド・ギターに泣けてくる。最後のほうで「Lalalalala……」とコーラスになり、長めのアウトロで終わる流れも完璧だ。断片的な風景を描
いていく歌詞は、何のことを歌っているのかちょっと判りずらいが、じつは「地下道の底で夢を見てる」(中川敬のソロ作、15 年の『にじむ残響、バザールの夢』収録曲)の続編として作られた曲で、街娼にならざるを得なかった戦災孤児の少女がテーマなのだという。NHK が『“駅の子” の闘い~語り始めた戦争孤児~ 』(18 年8 月)を放映したり、朝日新聞が『「浮浪児」、助けなき路上の日々 戦争孤児が見た社会の姿』(18 年8 月)という記事を今頃になって出したのは、やっと今、当事者が話し始めたからだった。「戦後」は今現在の話なのだ。
< 深い河の彼方から>も、心が清らかになるような静かで美しい曲だ。歌詞の中に出てくる「幼い日のモノクロの道 抜け出せない闇の底」というフレーズで、不意に自分の記憶を辿ってしまう。子供の頃は、大人になれば子供の頃のことを忘れてしまうのかという疑問があったが、実際はまったくそんなことはない。人は、蓄積された「記憶の残片」を抱え
て生きていくものなのだ。
この文章を書くための取材という名目で、ミキシング作業中だった中川敬を祐天寺のスタジオに訪ねたのは、シリアで解放された安田純平がちょうど帰国した日だった。中川敬は、安田純平がイラクの地元武装自警団に拘束(04 年4 月)されて帰国した後、本人に会っている。そのとき『シャローム・サラーム』(03 年7 月)を渡して、カフィーヤ(アラブの男性のスカーフ)をもらった。
最終的なミキシングが終わって完成した音を聴いたのは、ドイツで難民に寛容なメルケルが党首辞任を発表し、ブラジルで露骨に人種差別するボルソナールが大統領選に勝った日の翌日である。極右排外主義や陰謀論は世界各地に存在するが、武装勢力に捕まり、開放されて帰国したジャーナリストを罵る国は日本以外にないようだ。しかし、そういう卑屈な人間がいる国でも、愛すべきポジティヴな日常はある。
『バタフライ・アフェクツ』は、ひとめぐりしてニューエスト・モデルの時代に戻ったような目の覚めるロックン・ロールだ。というか、ニューエスト・モデル時代は今以上に政治的で左翼的だったと中川敬自身が語っていて、じつは当時から一貫した道を歩んできた。シンプルな布陣で制作された『バタフライ・アフェクツ』は、奇しくも音楽のスタイルがニューエスト・モデル時代を彷彿させるロックン・ロールになったと言うべきだろう。それが今の時代に対抗するオルタナティヴな方向性を持っている。この傑作に乾杯しよう!
石田昌隆